ちゃこのカケラ

作詞、作曲、歌うたいの 気づきのヒミツの保管場所

「いつでも相談してね!」は無意味である?

優しい人が言う「いつでも(なんでも)相談してね!」という呪文。

 

私は、「いやはや、この子が悩み事をしたときは、わざわざ私に相談することもないだろうな」と思ってこの呪文をのみこんだことがある。いわば無意味なのである。

 

今日はその呪文についての考察を展開してみる。ただし、ここでは対等な目線でいれる関係性の人の場合について書いてみる。例えば「友達」の場合など。「先生と生徒」のような関係性だと、また違った展開になるかもしれないので、別の話だと思って読み進めてほしい。

 

 友達の力になりたいときは、まずこちらから相談せよ

特別に仲のいいわけではない友達に、厳しい言い方をすると信用してない人に

こう言われたところで、その前と後では、悩みの持ち主の相談モチベーションは何も変わらない。 

 

そんな効果のない呪文を唱えるくらいなら、経験的にまずは自分から悩み相談をする方がよっぽど効果的である。その形は「北風と太陽」の童話のように。

効果のない呪文は北風だ。心の扉をこじ開けようとしても無効である。

こちらから相談を持ちかけることで、親近感が湧いたり、自らの悩みに結びつけて口を開いたりするものではないだろうか。

 

また、「緊張をほぐすには、自分よりも緊張している人を見ると治まりやすい」という話もある。私はこんな悩みがあって…と持ちかけることによって、「ああ、私の悩み事なんて大したことないな」なんて勇気づけられたなら大儲けだ。

 

言われてみると確かに、私はゴキブリが大変苦手であるが、隣で自分よりも怖がっている人がいると人が変わったように英雄になる。「なんや、こんなもん、ペッ!てしたらいいねん。」と余裕ぶって撃退するのである。一人だったら「っッ………!!!!!!!」「あqwせdrftgyふじこlp;!!!」などと長らく格闘するはめになるのに。

 

まとめ

なんらかのエピソードや相談事をきいた時、人はすぐに「自分ならどうするか」と考える。こちらが逆に相談をもちかけ、相手の考えを整理させることで、相談を受けた側の悩みが解決しちゃった、なんてことも実はザラにあったりするのである。相手に心を開いて欲しければ、まずは自己開示。相手の心の扉を開かせれば、しめたもんである。